2025年05月19日
Cảm giác của tôi 私の気持ち No2
シンチャオ!
先日、お釈迦様の誕生日(ベトナム旧暦)がありました。
その時は、フエ市内は「川内祭り」のように人が溢れ、山車に装飾をちりばめた物が多数練り歩きました。
川には、蓮の花の形をした物が揃っていました。
大イベントのようです。
その頃、利用者の住職さんも、お祭りの時期を感じて落ち着きがない日が続きました。
「そろそろ、仏教の祭りがある。その時は沢山の人が来て、食べ物やお金をもらえる」
「また、ここに戻って来るので一旦帰らせてほしい。お金をもらって戻って来るから」
と話した時もありました。
(病院外へ出かける事はNGです。家族が対応する事は出来るでしょうが、お祭りで対応出来ませんよね)
YouTubeを見て落ち着きました。
「あ!凄い!私は皆を誇りに思う!!!!!素晴らしい!!!!」
「Nam mô A Di Đà Phật・・・」(南無阿弥陀仏・・・)
「あ!あちらの人は、私たちが見えていますか?」
「私を見ているね~。ん?知ってる人かな・・・ん~分からないな・・・」
「Nam mô A Di Đà Phật・・・」(南無阿弥陀仏・・・)
お経の歌を唄ったり、涙を流したり、喜んだり・・・映像と共に過ごしました。
少し興奮気味になる時もありますが、YouTubeに感謝しました。
「私は、昔はいい男だったんだよ!!!車も持っていた!!!」
「お寺のトップだったんだ!」「けがをしたから動けなくなったんだ」
「ここは、お寺でない事は分かっている・・・お寺では子供が走り回っているからね」
「時々、頭が変になる。皆の名前も忘れる・・・ごめんなさい」
「トイレ失敗する時は・・・次から気をつけるから・・・」
「これは、おしっこじゃないよ!水だよ!」
「さつまいもが食べたいよ。ありがとう」
「家に帰りたいよ!!!」
と訴える時は、便意・・・
「仏教のおかげで、今があるんだよ」「来てくれてありがとう」「顔を見せてくれてありがとう」
「Nam mô A Di Đà Phật・・・」(南無阿弥陀仏・・・)
時には、一人になりたい時もあります。
「触らないで!Đừng 触らないで!Đừng」
ですが、さつまいもやお粥を見ると
「嬉しい mừng」と食べ始めます。
分刻みの気分の浮き沈み、眠る日、ハイテンションな日
様々ですが、住職さんの気持ちは感じれます。
言葉は通じなくても、感じる事が出来ます。
私たちは、安心できる存在になれていますか???
これからも、笑って、泣いて、叫んで過ごしていきましょう。
ちゃお